永山則夫展に行き、自分の現在を文章にする。

今回はちょっと暗めの近況報告と思考です。
フェリーで小樽に行ってきました。
反応をいただくと、ありがたいけれど返事は遅れます。
拍手返信は今回はお休みで。すみません。
長いので続きを読むからお願いします。
小樽にいる。
正確には小樽フェリーターミナルのすぐ近くのスーパー銭湯。
そこの休憩スペースにいる。
この文章を書き始めたのは2017/9/6の17:55。
お察しの通り、これは書き上がってすぐ投稿していない。
文章に推敲を重ねたいのではない。すぐ投稿すると、どのフェリーに乗るのかわかってしまうし、下手したらその中の誰が私かわかってしまうからだ。
すっぴん眼鏡のスウェット姿で、「あ、あれ浮草堂美奈だ」とバレてしまうのはかなりハイレベルに避けたい。
そういうわけで、この文章はリアルタイム投稿ではないし、だからといって推敲を重ねているわけではない。
むしろ、この文章はあえて推敲をしない。後から文章が良くなるようにしてしまっては、この文章が台無しになるからだ。
結果、誤字脱字が多くなると思うが、スルーしていただきたい。今の私は、いただいたご指摘に返答するキャパシティがない。
前置き終了。

今日、小樽市立文学館の企画展に行ってきた。
永山則夫と獄中婚した女性の手紙と二人のおおざっぱな人生の年表を展示した企画展だ。

企画展「凍った心をとかした手紙 奇跡の461通―獄中の死刑囚永山則夫とある女性との、魂の交流―」
展示期間は9/10まで。

永山則夫について知っていることは、殺人を犯した死刑囚で執行済の獄中作家。以上。
という知識で企画展に行ってきた。
彼の作品は一冊も読んでいない。
故に、今、かなりとんちんかんなことを書いているかもしれない。読んだ後で彼に対する考えが変わっている可能性も高い。
この文章は思考の整理のために書いているに近い。
頭の中で思考がこんがらがった時、文章にすると整理できることが多いのだ。
まだ整理はできない。書き上がってないからというのもある。だが、書き上がったら整理できる自信もない。
やたらと自分のことについて語ってしまうと思う。
タイトルは現段階では未定。

彼らはNとミミと呼びあい、文通していた。それはやがて恋文に代わり、彼らは夫婦となって、夫は最初から決まっていた通り死刑を執行された。
私はその手紙と彼らのおおざっぱな人生の年表、そして判決を下すために必要な供述。それらに心を動かされた。
どう心が動いたのかは書けない。
表現できないのではない。
自分がどういう感情を抱いたのか理解できない。動いた、動かされた、それ以外何もわからない。
彼らは二人とも、安心できる場所を持ったことがない。
具体的に言うと、無条件でそこにいることを肯定してもらえ、傷つけられることがなく、守られる場所。
それは一般的に家庭だというのを、私は最近知った。
知識として持っていなかったのだ。純粋に。
しかし、私は昨日、初めて安心できる場所にいる、という体験をした。
風邪をひいて寝ているフェリーのベッド。
ベッドにはカーテンがひけて、暖かい布団もある。
スマホは圏外。
知り合いは誰もいない。
家族もいない。同居している母もいない。
寂しさや退屈からSNSを開くこともなく。
母の暗い顔を診たり、虚空に向かって怒鳴る声を聞くこともない。
完全に一人きりだ。
私は生まれて初めて、安心できる場所にいると思った。

自らを永山則夫を同一視するつもりはない。いや、この世の誰一人として、自分と同一の人間がいる人などいない。
永山則夫展に行ったはずなのに、かなり私自身の話の率が高くなってしまう。仕方ないことだと諦める。
昨年の年末から首が不随意になって、半年近くほぼ寝たきりになった。それが治る(正確にはまだ治っていないが、もう症状を自覚できないほどに軽症)と、湿疹が激しくなった、そして八月に入ってから、ほとんど眠れなくなった。
私以外の人間のことでは、年末、母方の祖母が入院した。年が明けてすぐに死んだ。
私は自分に恐怖した。
祖母のことは嫌いではなかった。むしろ好きだった。
それなのに、祖母が死んだことは悲しくなかった。
「やっと死んでくれた」
嬉しかったわけではない。
ただ、祖母は死ぬ直前に認知症を患った。祖母が入院すると、母は不安から統合失調症の症状がひどくなった。一晩中一人で怒鳴り続けることも増えた。
祖母が死ねば、いつ死ぬかという不安から怒鳴ることも少なくなるだろう。
それ以外、何も考えなかった。
嬉しさも悲しさも、とにかくすべての感情がわかなかった。
祖母の生前の思い出も浮かばなかった。
葬式が終わると、私の方が不安になった。
「私は良心というものが欠如しているのかもしれない。サイコパスというものかもしれない」
そして首の不随意はついに起き上がることすら困難になった。
正確には、起き上がること自体は可能。だが、首が勝手にガクガク動く状態は、歩いたり階段を下りたりするのが結構危険。
特に、下を向くのが困難な状態の階段は危険な上にかなり怖い。
首が後ろに勝手に倒れていくので、仰向けか枕を使って横向きに寝るのが一番楽な姿勢。
そこから救われたのは、知り合いでもなんでもない人のTwitterの一文。
「サイコパスは他人の気持ちなんて考えない。よってサイコパスであると誇ることも悩むこともしない」
医学的に根拠があるかはわからないし、正直どうでもいい。とにかく、私はサイコパスではないと思えた。救われた。
母親の精神の安定は二か月ほど続いた。

21:37 フェリーターミナルに移動。セイコーで買ったスムージーを飲みながら続きを書く。野菜不足にはちょっと敏感である。特に食物繊維を重視。
いきなりの前言撤回。ちょっと文章に説明が不足だな、という部分を直してしまう。 まあ、気にするほどではない。
自分の感情はまだ理解できない。
話をターミナルへの移動直前の頃に戻す。
そんな日々が続き、8/27の早朝。
書けない、ことに気づいた。
つまり、自分が書いている小説が納得のいく作品になるように書けない。
プロットも立てないで書いている。脳内のプロットすらない。
話の展開を自分でも予測不能で書いているのだから、面白くなくて当たり前。
そりゃあ、書いても納得いかない。
その日の夕方、TwitterやLINEも書けないと気づいた。
私はコミュニケーションが好きだが、下手だ。
そういう人間に、SNSはありがたい。
面と向かって話すと、返事を考えることが可能な時間が短いし、その時に合った表情が必要になる。
相手は楽しんでいるか? あるいは不快な思いをさせていないか?
観察力が低いので、かなり集中して観察しないとこれらがわからない。それでも的中率は低め。
特に観察していると意識せず、相手に気遣いができるプロフェッショナルに比べると、かなり低め。
自分のことばかり話してもいけない。これが一番苦手。
その点、SNSは返事を考える時間が長いし、表情なんてどうでもいい。Twitterなど特に、自分のことをだらだら話してもいい。別に誰かに向けての会話でないなら、むしろそのために作られたSNSだ。
ついでに書くと、相手に好かれたくて嘘をつくことはない。
嘘というのは高度な技術が必要だ。技術が足りないとすぐバレる。同時に信用も失う。私には難易度が高すぎる。
だが、真実は難易度が一気に下がる。
気を付けるのは同じことを言っても、言い方や書き方によってかなり印象が変わることと、それは言ってもいいことか判断することのみ。
嘘をついてバレないように、整合性を保ち続けるより、ずっと難易度が低い。
仲の良い関係を続けたい人には、感じ良く話したい。
好きな人(好きを恋愛の意味に限定しない)には好かれたい。好きな人に嫌な思いをさせたくない。好きな人に嫌われたくない。自分は好きだが相手は私が嫌いで、仕方なく付き合ってもらっているのに気づけないのもかなり嫌。
私はコミュニケーションが好きだが、下手なのだ。下手なことをするのはエネルギーを多く消費する。エネルギー不足ではコミュニケーションは無理だ。

今、まさに書いているじゃないか、と言われればそれまでだが、ホントに何も書けなかった。 たまにTwitterで自分の話をポツリとする。以上。要は寂しいがコミュニケーションをするエネルギーがない。文章を考えられない。会話を職業としている人にビジネスとして会話するのでなければ、会って会話を続けるのも大変。
しかし、今は考えながらこの文章を書いている。Nとミミはそういうところも動かしたんだろう。
現在、文章を伝わりやすくしようとしながら書けるようになっている。
不要な部分を削除したりしている。
文章を訂正したら台無しになるのではなかったか?
今はそれを訂正する。
台無しにはならない、 むしろ必要なことだった。
自分が何か失敗やあやまち、思い違いの類いをしてしまったら、それをしたと認める方が楽な生き方だと思う。

話を8/27に戻す。
同じ日、笑えなくなっていることに気づいた。
正確に言うと、愛想笑いができない。
面白い、楽しいと思った時は笑える。
だが、興味がない話の時に愛想笑いができない。
ややこしいが、私は友人知人、要するに仲良くしたい人、に愛想笑いをするのは好きだ。友人知人の話していることに興味がなくても、愛想笑い(なんとも嫌な字面だが、こう書かざるを得ない)をすると、その人たちは楽しそうになる。
100%ではない。でも、だいたいは。
仲良くしたい人が楽しそうにしているのが大好きなのだ。相手が楽しそうにすると、私も楽しくなる。
好きな人の楽しさは"うつる"ものなんだろう。
顔の筋肉をちょっと動かせば、楽しくなるのがわかっていたのにできない。驚いた。
その驚いた日の話ではない話。
別に仲良くしたくもなんともない人に愛想笑いをするのは嫌いだ。いくら楽しそうにされても楽しくもなんともない。
"うつらない"けれど、普段ならできる。
と、いうより普段は誰と話しても反射的に笑顔になる。
奇しくも永山則夫が人を殺したのと同じ年齢の頃。十九歳の私は笑顔という表情を作れるように練習していた。
結構練習は実ったんじゃないだろうか。
たぶん、そういう他人に好意的な態度を示せる余裕と示せるように練習できる余裕があるかで、私と永山則夫の十九歳以降の人生は大きく別れたのだろう。
その頃から十年と少し経ったが、どんな相手でも、不機嫌そうだと不安になる。
自分が何かしたかなと思う。ご機嫌を取ろうとする。
自分に置き換えると理解できる。
相手に非があって不機嫌であるのでなければ、不安そうにご機嫌を取られても不快なだけである。今、余裕がないんだ、余計な気を使わせないでくれと思う。
そして、余裕がない時でなければ、大抵の人は露骨に不機嫌そうな態度をとらない。
余裕があれば不機嫌でも、ちょっと取り繕おうとする。
理解できるのに、とっさにやろうとする。これは今後の課題だ。克服せねばならない。

0:03 フェリーの一番安い切符のベッドにいる。行きと同じカーテンと棚しかないが、上のベッドがないので天井が高い。しかも窓がある。さらに大部屋なのだが、実質部屋一つ貸し切り状態らしい。経営不振なのかもしれないけれど、正直貸し切りは嬉しい。新日本海フェリー様へ、申し訳ありません。貸し切りでない行きも、両方の船内は快適でした。ありがとうございます。
空腹と食べたいという理由で、売店でロイズのラムレーズンを購入して少しかじった。濃厚なチョコレート。少しずつしか食べられない。おいしい。
もう完全に前言撤回。かなり書き足しや削除をしている。
ちょっと眠い。でも書きたい。明日早起きする必要がないのを決め手に、書くことにした。眠たくてどうしようもなくなれば眠る。
また8/27に戻す。
それに気づくと、自分のおかしな行動が多いのに気づく。しかも、長期間。多過ぎて書ききれないが、Twitterやブログがやたらハイテンションだったり。ネイルがわかる程度に剥げているのに、塗り直しも落としもしてなかったり。部屋がちらかっていて、それが嵩張るゴミが数個落ちてるだけという、三十分もかからず片付けられるちらかり方だったのに放置し続けたり、色々。
そして一番おかしいのは、それを気にも留めないこと。
不快さも感じなければ、妙だとも思わない。まったく気にも留めていない。
おかしい。
そう思ったので、すみやかに休暇に入った。
発行予定の新刊は延期。SNSもあまり触らない。
今回の小樽行きフェリーは8/27の朝に予約している。本当にすみやかだ。
休暇と決めたその日のうちに湿疹は湿疹痕になった。湿疹痕を見て初めてひいた。
「うわっ、肌が全身すごい汚い!」
思えば八月になってからほとんど毎日出かけていた。
近所のカフェやネットカフェで小説を書いているパターンがほとんど。七時頃には家路についている。
反抗期の高校生か、という話だが、家にいたくなかったのだ。
母親の暗い顔、荒い息づかい、幻聴に向かって怒鳴る声。
約三十年続いたそれらが、溢れる寸前の盛り上がった水面のようだった。
たぶん、母親だけが原因ではない。
自分では気づいていない、色んなものが一滴々々溜まっていた。
母親が目立つから気づけるだけで、他にもなんだかわからない色んなものが。
そして8/27に少しだけ、溢れた。
溢れたから、溜まっていたと気づくことができた。
今は母親以外の溜まっていたものがわからない。でも、今はそれを探るより休まねばならない。探るのもエネルギーがいる。今はエネルギーがすっからかんだ。探るのは後回しでいい。優先すべきはエネルギーの充電。

そもそも私は、病人が苦手である。
病人が悪いとかそういうことはない。
ただ、体調が悪い人は雰囲気が暗い。
当たり前だが、暗い。
私はそれが苦手だ。一緒に暗くなってしまう。
友人知人が病気になっても、一緒に暗くなることはない。
何故なら一緒に暮らさないから。
ずっと同じ家で寝ないから。夕食の時に隣にいないから。具合が悪そうだから寝るように言っても「大丈夫、しんどくない」とずっと同じ部屋にいないから。物理的に距離が近いのが、ずっとじゃないから。一緒に暗くなりそうになったら、離れていいから。手に負えないなら縁を切っていいから。
病気だから全部自分の思い通りにしろといわないから。思い通りにならないことがあると死んでやると騒がないから。
ラスト二つは父親がしていたこと。
わりと周囲に父親は自殺だったと思っている人はいるらしい。
そう思われても仕方ないくらいに、しょっちゅう自殺未遂をしていた。
だが、実際は自然死だ。理由は三つ。いつ突然死してもおかしくないほどのアルコール中毒。父親が寝ていたベッドから落ちて死んでいるのが発見された時、家にそんな遺体の状態になるような道具などがなかったし、当時の彼は自力で買い物をするのが困難だった。最後に、父親の自殺未遂は、本当に命が危ないと感じると、意識があるうちに自分で救急車を呼ぶように言った。
そんなカンジで私は病人が苦手だ。
「苦手」と「悪い」は違うものだ。
私は「苦手」だ
暗い気持ちがシンクロしてしまう。
それはそれで"うつる"
勝手な話だが、自分が体調の悪い時に母親も症状が出て怒鳴り出すのは、耐えられるけど辛すぎる。
顔を合わせるだけで辛い。母親が暗い顔をしていない時など98%ないし。
そして自分が体調が悪いと、そういうものを受け止める余裕がない。
そして体調が悪いと母に伝えると、彼女は傍で寄り添おうとする。
暗い顔で、荒い息づかいで、とれているのを見たことがない眉間の皺を保ちながら、傍らに自分がいると心強いと信じて寄り添おうとする。
それは感性の差。個々で違って当然のもの。
母親は体調が悪い時、傍らに誰かが寄り添っているとそれだけで心強い。
私は体調が悪い時に、傍らにいてほしいのは一つの職業だけ。看護師。
入院が必要なレベルの体調の悪さの時、もっと簡潔にいうと入院中、ナースコールへの対応がはやいと心強い。つまり、私の傍らにいてほしいというより、ナースステーションに看護師がその病院の規模に充分な人数がいてほしい。
体調が悪い時、母親に顔を合わせたくないと伝えるのは困難だ。
体調が悪ければ、頭が働かない。ショックを与えないでそれを伝える言葉が思いつかない。
ショックを与えれば、一人で妄想に向かって怒鳴る確率は100%になる。顔を合わせれば60~70くらい。
怒鳴るのは母親自身でも止められない。怒鳴っている最中は、そういう正気を保てないから。家に悪いものがいて、むちゃくちゃをするから怒鳴っている。それで思考は占拠される。とんぷくの類いも飲まない。
彼女は自分が病気ではないと信じている。

私は疲労が溜まるとすぐ体調を崩す。寄り添ってほしくはないが、母親が寄り添った見返りを要求しないのは素晴らしいと思う。
私は見返りがほしい。お金や感謝の言葉や恩に着ることよりも、何倍も見返りとしてほしいものがある。
記憶だ。
忘れないでほしい。
しょっちゅう思い出せとは言わない。
ただ、その時間を忘れないでほしい。
忘れて、なかったことにしないでほしい。
私はいた。存在していた。生きていた。
それをなかったことにしないでほしい。
その見返りは、母親は決して渡せない。
彼女の記憶は一ヶ月ほどでほぼ「基本設定以外をリセット」となる。
Nはミミへの手紙に自分は四人も人を殺したから、ミミもにげだすかもしれないと書いてアハハハハと冗談めかし、ミミを怒らせている。
死刑囚が自分の罪を忘れるのは物理的に難しい。
でも、冗談にするには無理がある冗談めかした風にしないと、耐えきれないほどにつらい記憶だ。
しかし、彼が殺した人間を、愛していたかあるいは好ましく思っていた人ならば。
彼がその記憶を忘れることを許さないだろう。
母親は誰も殺してない、犯罪も犯していない。
だけど、私が覚えていなければ許せないことは、全部忘れた。
全部全部、なかったことにした。
そして彼女は自分が体調が悪いと他人が見た目でわかる、ということがわからない。
怒鳴り声が家中に響きわたるボリュームであることもわからない。
そこまでは理解できていた。
だが、フェリーに乗る直前、飲み込むのに時間が必要なことを知った。
彼女を人間扱いしてはいけない。
これは人権を無視しろとかそういう意味ではない。
人間だからわかってくれるという期待を捨てなければいけないという意味だ。
人間が生きていく上で必要な判断力や思考力を彼女は持っていないし、生涯持てない、そういう意味だ。
根拠が完全に自分のことを棚に上げた雰囲気だが、私は自分の体調の悪さを軽く見積もっていた。
一ヶ月ほどろくに眠れていない、皮膚炎がひどい、みんなに嫌われたような気持ちにたびたび襲われるが、特定の個人は誰も思い浮かばない。他のたくさんのおかしなことは気づかなかったが、体調の悪さを認識するにはこの三点で充分だった。
実際より低く見積もっていただけ(致命的な「だけ」だが)で、体調が悪い自覚はあった。
主治医にも伝えており、通院を短いスパンで来るように調整していただいている。
うつ病なのかという不安はかなりあったが、医師はあえて抑うつも含め、うつという単語を避けている。
推測だが、何らかのボーダーラインに近く、そしてうつという単語が医師から出れば、それが最後の一押しになってしまう可能性があったのだろう。
私のうつ病に対するマイナスイメージは強い。
父親がすべての言い訳にうつ病を使ってい
たからだ。
理性では父親の問題はうつ病より、非現実的な理想、その理想は自分が何もしなくても家族が叶えてくれて当然という思考、義務教育すら終えていない娘たちを含む他人への度を越した甘えなど、人格の方が大きな問題だったと理解している。
しかし感情ではまだうつ病へのマイナスイメージを克服できていない。
母親の話に入るまでが長くなってしまった。
そういう状態の八月の私を、母親は体調がいいと思っていた。
「しょっちゅう出歩いてるから」
私は母親にろくに眠れていないことも伝えていたし、皮膚炎に至っては見ればわかった。それでもしょっちゅう出歩いていたこともわかっていた。
しかし、「あの子、疲れをとることをしてないんじゃないの?」とまでは思考が至らない。「しょっちゅう出歩いているから元気!」そこまでしか思考力がない。
書くと私のメンタルがダメージを食らうので書かないが、それを納得させるエピソードは事欠かない。
確かにはっきり体調が悪いと伝えたのは、その日が初めてだった。
はっきり言わずに察してくれないと怒る人は、嫌いだ。
だけど、私は体調がいいと思っていたと聞いた瞬間、怒るどころか何の感情も浮かばなかった。
眠れない、と皮膚炎と伝えられ、その目でも見ている相手に、何の感情も浮かばないのは、それはそれでよろしくないだろう。
自分が体調の悪さを少なく見積もったように、思考力と判断力に欠けることは飲み込みやすい。努力や工夫でなんとかできるからだ。時間はかかるが、今までもそうしてなんとかしてきた。なんとかする過程に必要な、信頼できる友人という存在も複数いる。なんとかするのはできるようになるという意味にとどまらない。できなくてもあまり困らないようにすることも含まれる。誰かの協力は必ず必要。特にプロの指南は不可欠。
だが、母親がそうだというのは飲み込むのが苦しい。「コツコツせなアカンこと嫌い」を平然と公言し、変化を厭い、還暦も近い人間が変わることはない。
苦しいけれど、飲み込まなければならない。
我が家は構成員の両方が判断力が低く、同じ敷地内に老いて体や脳が衰えた祖父がいる。
緊急事態に生き残りたいなら、飲み込むしかない。
かなり飲み込みたくないけれど。
そういうわけで行きのフェリーで風邪をひいて一人きりだった時、安心できる場所を得たと思ったのだ。
こう書くとすべて両親が悪いようだが、それは違う。
私は母親との二人暮らしを自分で選んでいる。
確かに私には一人暮らしをするだけの収入はない。
母親も働いてはいないし、(収入を得る手段の労働に言葉を限定する)父親もかなり微妙なところだった。具体的な生活費の手段はここには書かないけれど。
でも、日本は先進国の一つだ。
セーフティネットはちゃんとある。
最低限の生活は保証されている。
最低限以上を望んでいるから、母親と二人暮らしを選んでいるだけだ。
本を買ったり、同人誌を作ったり、映画を 観たり、友達とお酒を飲んだり、季節限定のマニキュアを買ったり、カフェでコーヒーを飲んだり、こんな風にひとり旅をしたり。
そういう最低限以上を、自分の意思で選んでいる。
居住環境に文句を言える立場ではない。
居住環境を親のせいにする年齢でもない。
そもそも、私だって九歳の頃から主治医がいる人間だ。
今回のことも主治医に相談している。
そして、主治医は色々な言葉を口に出さないようにして、「小樽を楽しんできてください」だけ伝えることができる名医だ。
私は十歳になる前から、 名医にかかり続けなければならなかった人間だ。
母親も息がつまることもあるし、妹(一人暮らしをしている。と、いうかしてくれている)なんてその家で唯一健康だったのだから、息がつまるなんてレベルではなかったろう。
私はただの「病めるときも健やかなるときも」の病めるときが辛いと言っている、褒められたモンじゃない人間だ。
自分で選んだくせに。
それなのに。
永山則夫はずっと安心できる場所がほしかったんだろうなあ。と勝手に想像する。
生きてるだけで、愛され守られる場所。
しかし、私はそれは子供のうちにしか手に入らないものだと理解している。
今の年齢で、「あなたに何も要求せず、条件もつけず、守ってあげる」という人は、いたらいいなあ、とは思う。
だけど、実際にいたらその人はノーだ。
それはちゃんと要求や条件をつけてほしい。
例えば、
「侮辱しないでほしい」「酒やドラッグの中毒にならないでほしい」「暴力をふるわないでほしい」「不機嫌なときに当たり散らさないでほしい」「TPOに合ったマナーを守ってほしい「ありがとうとごめんなさいをきちんと言ってほしい」などなど。
初歩的なところではこんなところだが、他にもたくさんあるだろうし、人によって違うものだろう。
身を守るために必要な要求や条件を出してほしい。
人によって幅が大きい、我慢できない範囲のことはしないでくれと、要求してほしい。
可能だった場合のみ愛してほしい(やはり恋愛の意味でなく)
それが無ければ、私も一切の要求や条件を許されない。
そうでなければ、対等な人間の関係ではない。
対等でない人間同士の共同生活は、いずれ破綻する。
子供なら無条件で存在を肯定されてもよいと思えるのは、まだ条件にこたえられないからだ。
そういった条件にこたえられるように、学習する段階だからだ。
「安心のできる場所」に生きてるだけで入れるのは子供だけ。
私はそれが子供にしか許されないことを、人権だと考える。
永山則夫をN、その妻をミミと呼び合う彼らは、よく「二人ぼっち」という言葉を使う。
そして、(特によくミミが)出所して二人で暮らすという希望の話をする。
その便箋に書かれた言葉こそが二人の「安心できる場所」だ。
現実世界には存在しない、彼らを守る巣だ。
本当に出所はできないと思っていたかもしれない。でも、彼らには巣が必要だった。
最初の手紙のやり取りがそれを感じさせる。
ミミはただ著書を読んだだけの作家に、自分のかなり奥に踏み入った話を手紙に書いている。その返事は明るく親しげに、当たり障りのないものだ。事実はわからない。だが、私は拒絶と取った。永山則夫が感情を害さないように書いた拒絶の手紙と取った。
二人は巣が必要だった。
私はまだ、あの時の心の動きを理解できない。

永山則夫は母に捨てられた経験がある。小学校にも入らぬ年齢で、兄弟たちと網走に置き去りにされている。食料も金銭も渡されずに。
他にも母はかなりひどいことをしている。永山則夫が父親に似ていると、嫌う根拠を述べる。(父親に関する展示はこれ以外にない。年表にもない)
逮捕後、ミミは年老いて寝たきりの彼の母に会っている。
ミミはその時のことをだいたいこんな風に言っている。(撮影禁止だったので記憶が頼り)
「おかあさんは「息子をよろしく」とだけ言った。本当は「ひどいことをしてすまなかった」と謝りたかったのだろう。でも、自分は謝る資格がないとわかっていた」
私はこの記述の部分だけ、永山則夫が羨ましくなった。
私の父親も年明けに亡くなった祖母も、死の直前に母に謝った。
謝ることは嬉しいことだ。
ずっと罪の意識を抱えるより何倍も楽だ。
ましてや何も償えなくなった後の謝罪は、悔いなく死ねるためのモルヒネだ。
彼の母はモルヒネを使わなかった。私はそれが羨ましかった。

思い出す。私も妹にひどい振る舞いをした。侮辱と中傷を何度もした上に被害者を気取った。
長く自分の犯した罪にも気づかなかった。
数年経って私は妹に謝った。それはモルヒネ的な謝罪だった。
でも、その「息子をよろしく」を見た瞬間、償いをせねばと悟った。
まだ、償いを求めるほどに信用できないのはわかっている。
だが、たぶんお互いに後何十年も生きる。
いつか償いを求めていいと信用されるまで、罪を完全に記憶しなければならない。
都合のよい改ざんをせず、そのままの記憶を。
妹に私がしたことが具体的に書けない。全部覚えているのに書けない。いかにして彼女が努力している真っ只中に、彼女の努力は実らないと言っている会話を聞こえているのがわかっていたのにしていたか書けない。
あまりにも醜悪な自分への甘やかし。
言い訳はたくさん浮かぶが、すべて自分を甘やかす行為の不当な正当化に過ぎない。
この部分で私の文字入力は停止している。
保留する。
どんな言い訳を考えようと、私はしてはいけない自分への甘やかしをした。
体調、心境、すべての言い訳は、人を傷つけた罪を掘り起こせない理由にならない。

Nはミミに愛を教えてもらったという。
彼が引き金を引く前に、愛に関する知識があれば、引き金を引かずに済んだだろう。
当時の彼より十年長く生きた私は、ありのままでは得られない愛が、どれだけ素晴らしいものかを知っている。
ありのままでと歌ったディズニー映画の女王は、ありのままで名君だ。ありのままで名君でいられるほどに鍛えぬいた女王だ。
安心できる場所はほしい。
でも、そこはもう入れない。
すべてを許容し、無条件の肯定をもらい、守られて。
誰かを傷つけてそれすら許された瞬間に、自分の誇りと尊厳は叩き潰される。
命が尊いという価値観はよくわからない。
でも、積極的に誰かを殺したくもないし、自分が死にたくもない。好きな人が誰か死んだら悲しいと思う。
死んでくれたら助かる人は何人かいる。あれだけ自殺を止めた父親も、いざ死ぬと生活の色んな面が助かった。
だけど、そのリターンに対してリスクが大きすぎる。
やろうと思わない。
永山則夫が愛しいか? ノー。
崇拝するか? ノー。
彼の作品が読みたいか? イエス。

あの展示を見た後、他の展示は見られなくて、ぐったり疲れて腹が減った。
ミュージアムカフェで烏龍茶を飲んで、うまい魚と家族への土産を求めて外に出た。
運河は近かった。
その瞬間まで運河に興味はなかった。
前回見た時、母親が疲れないようにせねば以外何も考えていなかった運河。
運河は美しかった。
運河により近づく階段を下りると、ギターを奏で歌う男がいた。
自分は幸せだ。何不自由ない生活をしている。だけど、夢が叶うなら。運河に飛び込んで泳いで行きたい。どこまでも泳いで行きたい。そんな自信なんてないくせに。
そういう風な歌詞だった。
私は拍手して、もう一回同じ歌を頼んだ。
聴き終えると、「私にはこの歌が必要だった」と伝えて、払える最高額の千円札をギターケースに入れた。

9/7の3:25 帰りのフェリーのベッドにいる。
まだ、私はどんな感情を抱いたのか理解できない。
まだ、コミュニケーションは難しいかもしれない。
良い小説も、まだ書くのは難しそうだ。
でも、私はこの文章を書くことができた。
私は眠る。
私は家に帰る。
母はいつも通り暗い顔をして、しょっちゅう虚空に向かって怒鳴りながら、家にいるだろう。
わかっている。それでも帰る。
永山則夫の遺稿には、大きく×がつけられた原稿用紙がいくつもあった。
何度も書き直しを入れて末にボツにした原稿用紙。
彼はいつ死刑が執行されるかわからなくても、ボツの原稿用紙を作った。
私の心は動いた。そしてこの名文と言いがたい文章を完成させた。
私から離れる人もいるだろう。私本人ですら関わりたくないタイプだと思う。それでも書かずにいられなかった。
そして書けた。
今はエネルギーが足りない。いつ回復するか予測できない。
でも、回復するのを待てる。
この旅で待てると確信できた。
私は永山則夫の作品を一冊も読んでいない。ミュージアムショップで一冊購入しただけで、ページを開いてすらいない。ミミが初めて感想の手紙を出した作品を購入し、普段は奥付に絶対押さない記念スタンプを押しただけ。
それでも、この展示会に行くことにした。理由はわからない。だが、神様とかそういうもののお陰ではないと信じる。
私にとって、生きるためには必要な思想だから。
この文章のタイトルが決まった。
「永山則夫は、私に銃を捨てさせた」

追記9/7 大幅に推敲し文章を追加したり書き直したりした。タイトルも変更した。正直、前のタイトルではただの小説の路線変更のお知らせである。
風邪は9/6の段階で完治。
まだあの時の感情は理解できない。
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プロフィール

浮草堂美奈

Author:浮草堂美奈
小説書きが何か日々喋ってます
サイト キクムラサキ式
サイトに小説掲載中。
同人誌即売会にも、ダークファンタジー小説を引っ提げ出没します。

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