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読書はたのし「そして、バトンは渡された」(瀬尾まいこ)

 3月は転居の季節という。わたくしも近々転居をせねばならぬらしい。
 転居時期は定かではなく。転居先にお招きすることもできない。新居は石でできたコンパクトな物件で、これまでにも盆と彼岸を中心に何度も訪れている。
 ストレートに申し上げよう。
 自室から「パキッ」とか「ビキッ」とかいう音がするようになった。
 鉄筋コンクリート製かつ畳敷きの自室から、このような奇怪な音がする。
 慄然。
 床が抜けかけている。
 これはまいったと啓林堂に行った。
 大和の外蛮勇の地の方々に説明しておくと、奈良県のローカルチェーン書店である。
 行っちゃダメだろうとか聞こえた気がする。
 鐘の音の聞き間違えだろう。
 到着。
 驚いた。
「当店のスタッフが本屋大賞受賞!」
 の文字が躍っていたのだ。
 これは! と財布を出したが、何度数えても三桁円しかない。三桁円でキャッシュレスを利用するわけにもいかぬ。キャッシュロスのキャッシュレスは「アーカードが……来る!」だ。わたくしに殉教の覚悟はない。
 もう1つデカい問題が発覚した気もするが、鹿の気配を感じただけだろう。
 とかく三桁円。しおしおと帰り、ママンに「啓林堂に大作家がいるらしいぜ」と言うにとどめた。
 翌日、「サイン本はなくなってたわー」と、ママンが入手してきたのがこちら。
「そして、バトンは渡された」(瀬尾まいこ)である。
 
 田舎者ほど地元の有名人に弱い。
 もれなくママンも数年ぶりに本屋に行ったと浮かれていた。
 わたくしは「その位置にいたら即死だな」と考えていた。

 ママン(巻き込まれで頭上に死が迫っている)から借り受けたこの小説。
 なるほど。これは絶賛するわけだ。
 ママンは鬱展開と暴力表現と悪人の存在がある小説が地雷なんである。
 今、わたくしとのい血縁関係を疑った方あなた!
 イイ線をいっておられる。
 いや、わたくしはつまらんほどに実子だ。そっちではない。
 この「そして、バトンは渡された」は、3回親が変わった少女の物語なのだ。
 当然、最初の親としか血縁関係はない。
 血縁関係はないが、鬱展開も暴力表現も悪人の存在もするっと温かいお湯で流してしまうんである。
 どの親とも穏やかでやさしい家庭で暮らす。
 そういう物語だ。
 そう、鬱展開も暴力表現も悪人の存在もフツーにある。それらが地雷な人間でも読める文書力で書かれているだけだ。
 主人公の優子は、親が変わったことを理由にいじめを受ける。
 しかし、その描写にドロドロ感がない。
 テレビでいじめ特集を見ただけで死の河を出すドロドロ体質のわたくしですら。
 このいじめ描写シーンはさらっと読んでしまった。
 感覚的には「ヘルシングで一番エロいシーンって、ウォルターがショタに戻るシーンじゃね?」と言われたときくらいのさらっと感だ。
「あーうん、それがナチュラルだよねー」である。
 ここまでの文章テクニックを持つのは難易度が高い。
 「最後の大隊」572名と「ヴァチカン教皇庁十字軍2875名を3人で相手取るくらい難しい。
 このさらっと感は、心から優子のことを想っている親の愛から感じられるものであるのだが……。
 いじめ、親の愛。
 どちらもイスカリオテ部隊1つに値する攻撃力があるテーマだ。
 軽率に扱われた作品には、つい絶滅主義者になってしまう。
 アンデルセン神父が3人になってるぞ、というツッコミはお許し願いたい。
 さらっとしすぎると深みがなくなり、「我は神罰の代行人」と、怒りのバヨネットをぶん投げる他なく。
 無理解なくせに濃厚に書くと、やはり「Amen!」と、怒りのバヨネットをぶん投げる他ない。
 それが瀬尾先生の筆力を前にすると、「みんな……泣いてはいけません……。神様にお祈りを……」となる。
 たとえ話でイスカリオテ部隊が壊滅してしまったが、嘘ではない。
「そして、バトンは渡された」の特徴は、文章がめっちゃめちゃ上手いことなのだ。
 なかなかにピックアップしづらい特徴である。
 なぜなら、書店に売っている本なら普通は上手いからだ。
 そして、この「そして、バトンは渡された」はめっちゃめちゃ上手いのである。
 わたくしの文章力を疑うのは待っていただきたい。
 実は、この小説はストーリーに大きなヤマやタニがない。
 いじめのシーンも親の愛のシーンも、ごはんを食べて報連相を兼ねた会話をしているうちにすうっと過ぎてしまう。
 大きく盛り上がりはしない。
 だからいい。
 もう一度言う。
 だからいい。
 波乱万丈にハラハラすることはない。
 ただ、「もうちょっとだけ続きを読もう」をずーっと繰り返して読了してしまう。
 そういう小説なのだ。
 大きなヤマやタニを作ろうと思えばいくらでも作れる。
 4人の親との関わりを、1つ1つドカン! ドカン! と書けばよい。
 しかし、瀬尾先生はそれをしない。
「あー、うん。それがナチュラルだよねー」くらいのテンションで、3人の親やクラスメイト、ボーイフレンドとの関わりを描く。
 文章が、心地よい。
 流れるお風呂に入っているような感覚を覚える。
 あー、ぬくいねー、とほこほこになったところで読み終わる。
 なにせ、ほとんどのシーンが何か食べているシーンだ。
 激しいアップテンポを作ろうとすれば、血液しか摂取できないが吸血鬼になりたてのために受け付けない、とかにするしかない。
 そんなセラス・ヴィクトリアシーンはもちろんない。
 いつもおいしそうなものを食べている。
 重要なのは、おいしそうなものを食べている。しかし、常に楽しく食べてはいない、という点だ。
 優子は嫌なことがあったら、嫌なことがあった気持ちで食べる。
 おいしくてもあんまり続くと飽きる。
 そして、親たちは優子に嫌なことがあると、「優子が嫌な想いをしたちくしょー」という気持ちで食べる。
 完食はするが、おいしいものを食べたくらいで目の前の嫌なことが消えたりはしない。
 それとこれとは別である。
 かなしい、うまい、かなしい、うまい、かなうまい。明日もごはん作ってくれてるんだろうけど、かなうまい。
 おいしいものをフツーに食べている。
 フツーに食べることに疑問を抱かない。
 フツーに食べて、フツーに生きている。
「そして、バトンは渡された」は確かに暖かい。
 だが、非現実的ではない。
 暖かさが生きている。
 書店員がオススメの1冊を投票して決める、本屋大賞というのがわかる。
「文章めっちゃめちゃ上手い」
 はキャッチコピーにしづらい。
 しかし、「そして、バトンは渡された」の魅力は「文章めっちゃめちゃ上手い」なのだ。
 読んだらわかる、は、読むまでに結びつけるまでが難しいのである。
 瀬尾先生は啓林堂のスタッフらしいが、組織票とか入れてもらえたんだろうか。そこはちょっと入れてあげてほしいところだ。

 こうして穏やかに、床が抜けかけている寝床に入ったが。
 眠っている間に地震が起きたらしい。
 らしいというのは、目を覚ましたら部屋を飛び出し廊下に転がり、頭を守っていたからだ。
 大きい地震ではなかったのだろう。本棚(圧殺装置)もびくともしていない。
 びくともしていない。いないが、うむ。
 わたくしは眠ったまま避難しているわけだ。
 うむ。
 想像以上に生きる気満々だったんだな。
 うむ。
 今後はなるべく電子書籍で買う。
 なるべく。
 そう、なるべく。
 なるべくってのはなるべくって意味だよ。
 なるべくだってば。

 こんなにヘルシングと転居について考えてしまう、「そして、バトンは渡された」いかが?


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Author:浮草堂美奈
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