読書はたのし「悪霊」(ドストエフスキー)
冬である。ドストエフスキーを読もう。
暦の上では~などと、しゃら臭いを通り越して抹香臭いことを言っている場合ではない
現実を見ろ。日光が少ない。寒い。冬だ。
ドストエフスキーを読むしかない。
そもそも、今の人類が間違っているのだ。
屋外で寝たら凍死する季節は、屋外に出るべきではない。
ましてや出勤など、不自然極まりない。
寝ただけで凍死する季節に、しただけで過労死する行動をとるなど死に急ぎすぎである。
人類総エレン・イェーガーでは、2ページで全員巨人に食われるだろう。
正しい冬の姿は、全人類がカプセルに入っている姿だ。
そして、まぶたの裏に流されるドストエフスキーを読んで過ごす姿だ。
栄養摂取や排泄などはチューブっぽいアレでなんとかする。孤独はカプセルを同じ場所に積み上げておけば大丈夫だろう。
そしてまぶたの裏に、ドストエフスキーの文面を写す。
うむ。正しい。
ああ、それなのに。人類は過ちを犯し続けている。
愚かな……。せめて、ドストエフスキーの作品を紹介するとしよう。
ドストエフスキー最大の問題作らしい。
なるほど。あちこちで問題を起こしすぎて、どれが一番デカいかわからなくなっているのだろう。
この問題にふりがなを振ると「美青年」だ。
ちょっと何言ってるのかわかんないですね。 健全な精神を宿している方がおっしゃったようだな。
帰れ。
冬などという超大型巨人襲来時に健全な精神でいられる超人が、こんなものを読んでいる場合か。
世界的偉業を成し遂げる作業に戻れ。なんか、革命とかそういうのだ。楽園計画とか、なんか。
よし、戻ったな。我らカプセル組はあらすじのターンに入る。
この「悪霊」はロシア革命が大きくストーリーにからんでいる小説である。
それも革命直前。雑に分類すると「ゴールデンカムイ」や「坂の上の雲」の時代付近。
このあたりのロシアは、各地で非合法活動(革命運動)が行われていた。
その革命家青年に、主人公スタヴローギンがストーカーされる姿。
これぞ「悪霊」の醍醐味である。
ん? 違うだろ! とおっしゃるか。
確かに言葉が足りなかった。
スタヴローギンは知力体力にあふれた美青年である。故に、「悪霊」はえっちな小説である。
うるせえ。違わねえ!
物語はこのスタヴローギンが故郷に帰ってくる噂から始まる。
このスタヴローギン、発作的に自身を破滅させるような暴力行為に走る癖がある。ペテルブルクでは退廃と放蕩にふけっていたらしい。誰もが彼に夢中になるが、彼自身は孤独の陰が常にある。大地主の一人息子。
これだけで48パターンのエロシチュエーションが妄想可能だろう。
が、「悪霊」はストーリーが「あっしは生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天で産湯を使い」から「寅! てめえいつ帰ってきやがった!」までで1巻を使い切る全3巻構成なのだ。
エロシチュが108パターンに増えるのは固い。
燃費がよい方なら、全3巻で1年持つコスパの高さだ。餓鬼道まっしぐらの連中でも1週間はいけると思う。
ついでに申し上げると、「悪霊」は様々な翻訳が発行されている。訳によって味が違うので、推し訳者がおられる方はそちらをご覧になるとよい。
この亀山郁夫先生訳はイージーモード味だ。
初ドストエフスキーな方にオススメである。
イージーモードォ? と顔をしかめられたそこのあなた! 思い出していただきたい。今は冬だ。
誰だって「お年玉使うんだからさ。クラスの連中がやってるような浅いゲーム買いたくないんだよね」と、中学生がプレステ2と女神転生とデビルメイクライ初代を購入しようとしていたら、ニヤニヤしながら見守るだろう。
しかし、「見舞いにばかり来てもらうのもすまないから、ゲームってモンを初めてみようかの」と、MK5(マジで棺桶5ミリ下)のお年寄りが同じものを購入しようとしたら、戦国BASARAにしようと進言する。それが人の道だ。
冬とは全人類がMK5である。冒頭でも書いた通り、カプセルに入ってひたすらえっちな小説(ドストエフスキー)を読んで過ごすのが本来の姿なのだ。戦国BASARA(亀山郁夫)にしておいた方がいい。
話を戻そう。
このスタヴローギンを革命の旗印にしようと、ストーカーしまくるのがピョートル青年だ。
スタヴローギンのカリスマ性に魅せられて、非合法活動の象徴になってくれと迫りまくる。 少し抜粋してみよう。
「ご自分が美男子だってことを、ご存じなんですか? あなたの中でいちばん大事なのは、ときどきそのことを忘れているってことです。そう、ぼくはあなたという人を研究しつくしました! ぼくは、しょっちゅうあなたを、横から、隅のほうからながめているんです! あなたには素朴なところ、ナイーヴな」
ここでやめておくが、この長台詞は後13行続く。しかも初めての長台詞ではない。ピョートルはいつもこんなカンジだ。長台詞だ。黙ると死ぬ男なのだ。
ここからがザ・醍醐味。
これらは全部ピョートルの脳内設定なんでである。
ぶっちゃけ、スタヴローギンがロシアを革命したそうなそぶりを示すことはぜんぜんない。
ペテルブルクでちょっとそういう連中と付き合いがあったのは、黒歴史扱いだ。
さらにぶっちゃけると、自身を破滅させたいそぶり以外、何のそぶりも示さない。何もしない。
あまりに何もしないので、ときおりキリーロフという別の登場人物が主人公と紹介されていたりする。
こちらも自殺宣言者と、なかなかのインパクトではあるが……。主人公と思って読むと「あれ? 出番少なすぎね?」となる。わたくしはなった。付属のしおりの登場人物一覧を見たときもなった。このしおり、ロシア人の名前わかんねえ問題に有効だったりもする。
閑話休題。
こうなるとピョートルの熱烈な思いに対する、スタヴローギンの反応は一つしかない。
ドン引き。以上だ。
どうだエロかろう。
確かに「くらえ! おっぱいだ!」タイプのエロはよい。だが、カプセルに入るなら、じわじわとエロさがしみこんでくるタイプのエロの方が向いている。一気に高熱を放っては消耗が早すぎるからだ。じわじわドストエフスキー接種が最適解である。
なんせ、ドストエフスキー先生は理想たるキリストとか生命そのものへの信仰とかを考えて書いてらっしゃる。
このイラつくスタヴローギンがえろい、とか考えて書いてはいない。
読者が勝手に美青年エロシチュエーション108妄想とかやっているだけなのだ。
浸透タイプのえっちな小説最高峰である。
二次元のストーカー、美味!
こちらで紹介している亀山郁夫訳には、もう1つ美味なところがある。
他の訳では本文中ではなく、付録扱いとされていた部分が、きちんと本文中にあるのだ。 他の方が訳された時代には、ロシアやソビエトの検閲に引っかかってしまった部分である。
ロシアのエルヴィン団長ことドストエフスキーが検閲に? まさか!
わたくしも同意見だ。
信じられないが、偉大なる大ソ連邦では。 ロリとパコパコする表現は許されなかった!
ドストエフスキー先生は19世紀の方なので、直接描写はない。朝チュンの上澄みくらいに薄いパコ表現だ。
ああ、それなのに!
納得できない。
納得できないが、この現実とフィクションの区別がつかないところも、大ソ連邦の良さみではある。
現在は21世紀。繰り返す。描写は朝チュンの上澄み。
言わずもがな。あなたもわたくしも現実とフィクションの区別はつく。
美青年×ロリとお楽しみになられるのも良い。
しかし、わたくしは性癖に素直に。
ロリ×美青年で楽しんでいる。
うすーい描写だからこそ、読者は自由に妄想できる。
二次元のロリおに、美味!
以下、まじめな話。
スタヴローギンは自身の破滅を求める男である。
故に、人々はその生き方に陶酔し、自分たちも破滅へと落下していく。
この破滅はうつくしい。
物語として、展開として、とてもとてもうつくしい。
よって、我々は破滅を堪能するために、生きねばならない。
自身が破滅しているときに、破滅を鑑賞する余裕などないからだ。
とかく、この冬を乗り切ろう。そのためのドストエフスキー(えっちな小説)だ。
冬は生きてさえいればよい。
生きてさえいれば問題ない。
問題は、冒頭でお帰りになった健全な精神の持ち主が、革命を成して解決する。
冬に入るカプセルの開発と、カプセルを折り込んだ社会制度作成。
彼らが世界的偉業を成し遂げる。だから、我々はこの冬を乗り越えるのに専念しよう。
では、散歩に行ってくる。
屋外に出るべき季節でなくとも、日光を浴びねば気が滅入る。ああ、なんと正しくないことか!
人類のあるべき姿について考える、「悪霊」いかが?
次回更新は3月27日(金) いつもより早めの時間(午前中くらい)に更新です。
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