読書はたのし「死ねばいいのに」(京極夏彦)
満を持して京極夏彦の登場である。
Oh! 何の準備かって?
わたくしの心の準備以外に何が。
ファンなんである。小説を書き始めたのは京極先生と秋田禎信先生の影響なんである。
しかも、影響は小説だけにとどまらなかったんである。
高校生のころ、黒の指だし手袋を一年中はめていた。
手元不如意により、100均で買った黒手袋の指部分をハサミでカットしたハンドメイドを。
流石にデザインがアレだと思った結果、ドクロのワッペンをアロンアルファで貼り付けた手袋を。
……言いたいことはわかる。だから言わないでいただきたい。
現在でも金がないことと、ファッションは足せば足すほどダサくなることは維持し続けている。
しかし、手袋は18でやめた。
日和ったわけである。
「オレ、マジ校則とかつまんねーこと気にする器じゃねえしぃ。そんな小せえ価値観で生きてねえしぃ」とか言ってるヤツが、面接の時期が来た途端に黒染めするのと同じだ。
ここで、「オレもいつまでもガキじゃねえから」と日和った事実を「成長」と言い訳して生きていこうとした。
世の中そんなに甘くなかった。
京極先生は、今でも黒手袋である。
著された百鬼夜行シリーズの登場人物コスプレ。黒い和服に黒手袋、羽織である。
髪に白いものがかなり混じってきても。
今でもその服装をしておられる。
当時と変わったのは年齢のみだ。いい着物になっていたりするかもしれないけれど。
これが講演会のみで着用等、ぬるい覚悟であれば。わたくしも日和った己を肯定できただろう。
しかし、水木しげる大先生のお別れの会。
京極先生の師のような存在の方の、葬儀に限りなく近い会。
青山葬儀場に「え……っ」という言葉が響いた。
京極先生が黒手袋コスチュームで登場なさったからだ。
確かにお別れの会は葬儀ではない。だが! だが! それでも! 平服にも限度があるだろう! 主催側だぞ京極先生は!
このぬるい戦は好きじゃねえ、という決然たる意思に完敗し、わたくしは髪を染めるのをやめた。
美容院代がガクンと下がった。
言いたいことはわかる。でも、それも言わないでいただきたい。
このようにファンだ。京極先生の著書を推したい。
推したいが、一つ問題がある。
先生の作品は圧倒的な率で鈍器なのだ。
鋼鉄製の本というわけではない。あまりの分厚さで鈍器としか呼べないのである。
殺人事件の被害者がミステリマニアなら、凶器は必ず本棚にある京極夏彦だろう。ハードカバーの一撃に決まっている。
この作品は面白いけど長いからオススメできない、などとぬるぬるMAXなことを申す気はないものの(リメンバー黒手袋)。
第一回が源氏物語だったのだから、少しはバランスをとるべきだろう。
そこでこちら、「死ねばいいのに」をオススメしたい。
なんと文庫版でたった466ページだ。先生ご乱心レベルに薄い。いや、実はもっと薄い作品も普通に書いておられる。乱心しているのは読者の方である。
発売当時は電子書籍同時販売も話題になった。やっぱり、みんな収納に悩んでいたようだ。書籍重量で床が抜けたら死ぬ。乱心しても命は惜しい。
舞台は現代日本。
無職とフリーターをいったりきたりしているケンヤが主人公。
殺されたアサミという女について知りたいと、ケンヤが関係者を訪ねて回る小説。
ミステリと言い切るのは微妙である。
ケンヤは別に犯人を捜すために関係者巡りをしているのではないし。
特にトリック的なものも登場しない。
読者が勝手に犯人は誰か気になってくるだけで、推理はしない小説なのだ。
では、ケンヤは何のために関係者を訪ねて回っているのか?
それは関係者を訪れる度に聞かれている。
毎回、アサミがどんな女だったのか知りたいだけだと答えている。
実際それだけである。
本当に、アサミがどういう女だったかを知るためだけに、関係者巡りを続けている。
彼は必ず言う。
「自分、馬鹿すから」
頭は悪いが聞き上手な女がモテるなんて飲み会テクを使用し続ける若造。
想定外の主人公である。
速攻でケンヤを「屑」と見下した関係者たち、全員長々と自分語りを始める。
飲み会でテンプレすぎる引っかかり方である。
関係者はヤクザから会社員まで老若男女そろっている。
飲み会テクのセオリー通り、地雷しか引っかからない。生々しいわ。
相手を見下しつつ「オレ、お前の何倍も苦労してるのに、こんなに不幸。世の中理不尽すぎ」語り。
いや、生々しすぎるわ。飲み会モテテクがそんなに嫌いか京極先生。虚実妖怪百物語(角川書店)
で、飲み会好きだって書いてたじゃん。下戸なのに。
地雷をわざわざ引っかけにいく方もやはり地雷、が飲み会のセオリーだが。
そこはセオリー通りではない。
ケンヤは地雷ではない。
死神である。
「この世に不思議な事など何もないのだよ」で一世風靡した京極先生。
やはり、ケンヤが突如大鎌を出現させ、現代ファンタジーにジャンルが変わるわけではない。
精神的死神である。
とくとくと説明するんである。
相手の自分語りを聞いた結果、いかにそいつの不幸が自業自得であるかを。
とくとくと、相手に納得がいくように。
読者に納得がいくように。
きちんと。
そいつが死ぬべき存在であるかを、納得がいくように説明するんである。
そして、読者が納得した瞬間に告げる。
「死ねばいいじゃん」
あまりの地雷っぷりにイラついていた読者たちは、全員「せやで!」とガッツポーズだ。
京極先生、やっぱり飲み会は好きなんだろう。
飲み会好きだからこそ、自分語りシラケが嫌いなんだろう。
死神が嫌なヤツをやっつけて大団円。やったね!
……で、終わらないのが京極先生である。
ケンヤは確かに死神だが、もっとも怖い存在ではない。
たとえ話をしよう。
幽霊目撃情報の話。
因縁ある地に現れて、かれこれこういう事情があって現世にとどまっております、と説明してくれる幽霊はあまり怖くない。
事情によっては人情ものにカテゴリされたりする。
また、絵本などで「おばけだぞー」と言いながら登場する、シーツみたいな幽霊。
あまり怖くない。初対面で即自己紹介をしてくれるあたり、親切な印象を与える。
一瞬だけ窓ガラスに映った顔とか。無言で枕元に立っている人間型の何かとか。
そういうものが一番怖い。
使用時間ももっとも短ければ、害もまるきりないのに一番怖い。
愚考すると、こういう幽霊は理解できないから怖いのだろう。
前者の身の上語る系も「おばけだぞー」系も、「幽霊です」と説明してくれている。
よってこちらも、なるほど幽霊なのだなと理解し、安心できるのだ。
窓ガラスの顔系はそれがない。
なんなのかまったく理解できない。
幽霊(と、思われるナニカ)である。
よって、怖い。
ケンヤは死神であることを、説明してくれている。
いや、説明するからこそ死神と感じさせる男である。。
だから、理解できるから、もっとも怖い存在ではない。
もっとも怖い存在は、別にいる。
この小説でもっとも怖い存在は、別にいるのだ。
飲み会だって、開会前から二次会まで一言も口を利かず、ずっと無表情で飲み食いもしないヤツがいたら怖いだろう。
こいつ何しにきたんだ。まるきり理解できない。地雷なんぞの比でなはない。めっちゃ怖い。帰ってほしい。でなきゃ自分が帰りたい。
理解不能、怖い。
この二段階恐怖をぶっこんでくるえげつなさがたまらない。
積ん読が多くてごめんなさい先生。舞台の魍魎の匣も良かったです。ああ、京極先生最高……。
ここまで書いてはっとした。
走った。
納戸の引き出しを開いた。
「ぎゃああああっ!」
19歳のころ、「普段着に」着ていた安物の浴衣がどっさり入っていた。
わたくしは着付けもできなければ、裾もさばけない、髪も結えない女である。別段和服好きでもない。当時は化粧もできなかった。
なのに、「普段着に」、浴衣を。
理解不能なのは確かに怖い。
が、中途半端にしか日和ることもできていなかった過去も、背筋が凍る恐怖である。
自分のスタンスを徹底することを考えさせられる、「死ねばいいのに」いかが?
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